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『笑点』の新司会者は春風亭昇太さん!歴代の司会は所属協会による世襲!? [芸能]

落語家・噺家のギャラ-笑点.jpg


5月22日の『笑点』生放送スペシャルをもって五代目司会者の桂歌丸が勇退しました。

笑点メンバー揃っての最後の大喜利の後、桂歌丸師匠から新司会者として発表がありました。

その新司会者とは、レギュラーメンバーの春風亭昇太さんで、六代目司会者となることが決定しました。

その決定には、所属協会の意図があったのでは?とうわさされています。









春風亭昇太さんとは




2006年に五代目三遊亭圓楽が降板し桂歌丸が司会になった際、新メンバーとして加入。

メンバーのなかでは新入りでしたが、BS版の笑点で司会をした経歴があり、笑点の派生番組で司会の経験があることから、
これらの実績が評価されて選抜されたのが有力です。

番組の最後に、歌丸師匠から発表。「春風亭昇太さんにお願いしたいと思います」。
会場からは驚きの声と拍手があがりました。
昇太さんは恐縮した表情で、円楽師匠から「おまえ、いくら(金を)使った」のツッコミが入ります。同時に客席から『え~』という声が。
司会の話を聞いた時?『え~』と思いました。プレッシャーはありますが、考えてもしようがないので、一生懸命やりたいと思います」と決意を表明しました。

この反応を見ると昇太さん自身も、事前にまったく話を聞いていなかったことが分かりますね~

また春風亭昇太さんは、歌丸師匠が会長をつとめる落語芸術協会で理事を担当しており、いわゆる「落語芸術協会内での人事」だったのではないでしょうか?









事前の予想は?




落語関係者のなかでは、「笑点の内部昇格の可能性が高く、中でも円楽さんが現実味がある」とのことから、三遊亭円楽さん(66)が最有力候補とみられていました。
またサプライズ候補として「立川梅春」の高座に上がるビートたけしさん(69)という話もあったようです。

そしてTBSラジオ『東京ポッド許可局』では、芸人のサンキュータツオ氏が「春風亭昇太が芸術の協会にトップになるかも」という予測をしており、
「(歌丸さんの)納得の公認人事があったのでは?」と発言。
結果的には、当からず遠からずということでした。このときのタツオ氏の予測は伊集院光もしくは柳家喬太郎でしたが(笑)











歴代の笑点司会者




「笑点」の歴代司会者


①立川談志(66年5月~)


1936年1月2日、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区白山)に出生。
16歳で5代目柳家小さんに入門。本名の「克由」の一字を取って、柳家小よしと名乗る。
1954年3月、二つ目昇進し柳家小ゑんに改名。寄席のほかに日劇ミュージックホールや新宿松竹文化演芸場にも定期的に出演し、
コントや漫談も披露。スタンダップコメディを演じる際には赤シャツにジーパン姿がトレードマークでした。
1962年、入門が5年遅い古今亭朝太(後の3代目古今亭志ん朝)が「36人抜き」で小ゑんよりも先に真打に昇進し、生涯最大の屈辱を味わったとのこと。
1963年4月、立川談志を襲名し、真打に昇進。同時に小さん門下から5代目柳家つばめも真打に昇進。



②前田武彦(69年11月~)

1929年東京府東京市芝に出生。太平洋戦争中に予科練に1年半在隊し、敗戦翌年、鎌倉アカデミア演劇科に第1期生として入学。
同科卒業後には立教大学経済学部経営学科に入学するも中退。
色々な職業を転々としながら、1953年の開局間もないNHKの放送作家になりラジオやテレビの台本を書くようになる。
テレビでは、放送開始当初から放送作家(放送構成作家)として活動。


③三波伸介(70年12月~)

本郷区根津にて5人兄弟の第5子で3男として出生。実家は銀座木挽町でオーダーメイド紳士服店を構え仕立工場を持つ裕福な家庭育ち。
杉並第一国民学校4年生の1940年、児童劇団「東童」に加入し芸能活動を開始。戦後日本大学第二高等学校卒業後に進学した日本大学芸術学部映画学科は中退。
後に水の江瀧子の劇団「たんぽぽ」等に参加。のち浅香光代一座に参加。その後東洋興業系劇場に入り、夜間キャバレー回りの余興営業を引き継いだ。
「三波・戸塚コンビ」で夜はキャバレーステージ、
昼間は劇場座付で舞台と活動をしていたが突然出奔し中座、大阪へ単身で乗り込み1年余、玉川良一、東けんじらとコント「おとぼけガイズ」を結成しおもに大阪劇場に出演していた時期もあり。


④五代目三遊亭円楽(83年1月~)

羽柴秀吉により鳥取城籠城戦「鳥取城渇え殺し」・鳥取城の兵糧攻め にて滅ぼされた城主・吉川経家(きっかわ つねいえ)とその三男・吉川家好(いえよし)を先祖とする家系。
幼い頃は病弱で腎炎、結核との闘病を経験する。腎臓の病はその後も水面下で進行し66歳の時に腎不全を発症。以後は週3回の人工透析を受けるようになる。
血圧はかなり低く、普段でも最高血圧が80mmHgしかなかったという。
第二次世界大戦では東京大空襲に遭うも、5代目圓楽の一家は一命をとりとめた。しかし、この戦争は圓楽の進路に影を落とす。終戦後、「これからは食糧難だから農業だ」という父親の薦めで農民になることを決意するが、当時の東京にはなかなか農業を学べるところがなかった。結局、隣県でしかも家からかなり遠い埼玉県立杉戸農業高等学校に入学、卒業する。




⑤歌丸(2006年5月~16年5月)。

本名は椎名 巌(しいな いわお)。

神奈川県横浜市中区真金町の出身・在住。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。
出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、近年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動。
地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も就任。位階勲等は旭日小綬章。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し[1]、2006年(平成18年)5月から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務めた。









この先の人事の可能性?!



番組は1966年5月15日の放送スタート。

今年でちょうど50周年を迎えたところですが、
司会バトンタッチの基準が落語芸術協会の人事だとすれば、空いた枠には落語協会の人間が抜擢される可能性は高くなりそうですね。

歌丸師匠の弟子で座布団運びを長年経験している桂枝太郎さんのメンバー昇進が考えられますが、今回の生放送中に歌丸師匠が山田くんとともに座布団運びとして名指しで呼んでいた
五代目圓楽の弟子である、三遊亭愛楽さんが昇進する可能性もあり得ます。

一部では今回の生放送で、愛楽の名前を連呼することで時期メンバーとして認知してもらうという狙いがあったようですが、
この辺は円楽一門会と落語協会のチカラ関係の問題でもあり、現在は予測は不可能とのこと。

結果的に今回の人事異動は「空いた枠の円楽一門会VS芸術協会の合戦」になる可能性を秘めており
まだまだ新『笑点』のスタートは始まったばかりといえるでしょう。


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